文字数:約11000字
投稿日:2022/02/15
追記:2022/02/15(書庫部分)
2022年11月、まかろにおじじ(@macaroni00_)さまが前年に考案された#sky考察vemberというタグを使用して各エリアの大精霊ムービーを5日間ずつに分けて考察したツイート(https://twitter.com/sky_hiwadaaoi/status/1586994726267678725?s=46&t=PhNyQLT0mBhtea_jTdsRMQ )を元にまとめ直しています。
孤島 / Isle of Dawn
産まれたての星の子を優しく力強く導くおじいちゃん、孤島大精霊。
大精霊たちの中で無惨にもお面が割れているのは孤島だけ。光を失うことによって「自身が傷付き衰えている様」がいちばんはっきりしている。
孤島の星座でもある杖は、光採取者や隊長の記憶にも出てきたり、草原洞窟や隠者の峠に置かれていたりしますが、「光を扱う道具」ではあると思います。
光採取者さんたちの使い方のほうが孤島大精霊に近いのかなぁとは。
ムービー中、孤島大精霊が杖で鳥を誘導するまで、鳥は大精霊と星の子の周りをぐるぐると回るだけなのですが、これがいまの王国の状態を表しているのではないかなと考えています。
一見流れがあり、循環しているように見えるけれども、その実光はその場に留まり、澱み、停滞している状態。
星の子が訪れ、光を運び、大精霊に再び力を与えて本来の循環(孤島ムービーでは空を目指すとこまでしか無いけど)を促す…星の子だけでは何をどうすればいいのかわからないから、導く大人として孤島大精霊がいる。あるいは精霊たちにとっても。
孤島恒常精霊解放時に見られる壁画に出てくる大精霊は、星の子から光をもらう前のヨボヨボなおじいちゃんを描いているように見え、この壁画が描かれた時点では既に光の衰えは始まっていたというか、だいぶ進行してたんじゃないの?とも思ったり。
AURORAの季節の第1クエストにて、最初の洞窟の壁画は元々は違う壁画が描かれていたことがわかったので、特にキャンドル職人さんの壁画なんかは案内用っぽいこともあって都度都度描き換えられてた可能性が高いかなとは。星の子が見てるものは最新版ということですね。
石窟の壁画のほうの孤島大精霊はわりとシャッキリしてて(お面も着けてる)、壁画が描かれた時代が古い、まだまだ王国が光に満ちていた時代だった、と考えることができます。
参考ムービーでは省いてますが、大精霊ムービーの後に神殿向こうに向かって鳥の道が出来、それに乗って飛び出す演出は大変熱いですよね。
草原 / Daylight Prairie
のっそりとした動作におおらかさと優しさを感じる、陽だまりのような草原大精霊。
のんびり寝ているようで、もしかすると光を失ったことによる休眠状態(もっと言えばクリプトビオシスに近いのかも)だったのかもしれませんねぇ。
草原大精霊ムービーは長らく「大精霊最初から火を持ってるじゃん」バグに見舞われてるのですが、考察する上でそのバグは無いものとして扱いますね。
という前提というか注意というかを挟みまして。
大きな体と大きないびき(これは後天的な睡眠時無呼吸症候群!とか考えてはいけない。体の大きなものは大きないびきをかくものというキャラクター作りでのある種のお約束というやつです)の草原大精霊は、星の子の訪れによって文字通り「目覚めた」という導入の仕方。
孤島大精霊と同じく、草原大精霊も星の子が灯したキャンドルから火を受け取ります。その火を手の中でこねこねして、蝶々に!(マジシャン!と思った人は多いと思う)
この表現は、草原の時代に王国の文明が火から光へと移行したものを表しているのではないかと考えています。
精霊の名前にもそれは表れていて、孤島ではキャンドル職人として火を扱う者がいましたが、草原では光採取者という光を扱う者が出てきます。
光採取者のムービーでは、孤島大精霊の杖(もしくは花火杖)で丸い光の玉を捕まえようとするシーンがあるのですが、この光の玉が「光」なのか「光の生物」なのかはちょっと微妙なところ…玉の動きが後半、まるで生きて意思があるような動きをするんですよね…。
でも蝶や鳥なのであればそのモデルを使えば良かったはずなので、やはり「光」と考えるのが適当なのかなぁと思いつつ、でも光を容れるために運んできた壺は大精霊が蝶々を招き入れた壺と同じなんだよなぁ…と。
火の扱いは孤島時代では既にキャンドルとして大量生産する術を持ち合わせているにもかかわらず、草原では空気中に漂う光を網でひとつずつ掬うといった原始的な採取方法を取っているあたり、技術的な面では光の時代はまだまだ始まったばかりであったのがうかがえる…と同時に、そういう原始的な方法を取ってでも光を使うメリットやコスパが、火を使うよりも恐ろしく良かったのではないかということもうかがえます。
あと、造舟師や荷積み人には過労と思われる表現があり、このあたりは工業化のはしりを表しているのかなぁと思ったりします(過労は生産性が落ちるので、機械化するきっかけになった可能性)。
と、文明開化の音がするような草原時代は一方で光の生物とはまだまだ良好な関係を築いている時代でもあります。
鳥の塔と呼ばれるものはマンタらしきものの絵が描かれているものもありますが、よく言われるのは飼育小屋だったのでは、ですね。
あと考えられるのは飼育というより巣作り小屋というか、高級食材ツバメの巣を効率よく手に入れるため、燕に巣を作ってもらうためのマンションというものが実在するのですが、そういうかんじだったのかもしれないなぁと。飼育小屋だと365日同じ個体の世話をしているようなイメージなのですが、Skyの鳥は鳥の道を作っていることが多いのと、それが天空まで続いていることを鑑みると渡り鳥なのではないかと考えられるからですね。
なので燕マンションのほうがイメージとして近そうだなと。
光採取者という原始的な採取方法と、鳥の塔というやや進んだ採取方法(こっちはまだ可能性の域を出ないけど)を経て、草原大精霊ムービーでは1匹の蝶々を壺に入れ、(参考ムービーには入れてませんが)ムービー後には壺からわっと大量の蝶々が出てきて星の子を助けてくれます。
つまり草原時代の終わりには、光の大量生産が出来ていた…ということなのかなと。
火から光へ、そして光の大量生産が可能となり、次の雨林の時代へ。
あ、クリプトビオシスの補足説明をしておきます。
有名なのはクマムシで、日本語だと乾眠とも言う。水分を与えるとすぐ活動状態に戻れるのが特徴です。乾燥状態になるときは比較的ゆっくりと乾燥していくらしい……ゆっくりと活動が衰えていく草原大精霊の姿はわりも想像しやすいですね。
雨林 / Hidden Forest
星の子から火を奪い取るという雨林大精霊の行動は、ダメージを負い続ける雨が降りしきるエリアのように星の子に冷たいですが、自身の身体の変化より槌を振るうほうを優先する姿から、ぽっと出の星の子よりも王国(の民たち)のほうが大事だっただけなのではないかと思わせられます。
雨林から、大精霊たちは灯されたキャンドルからではなく、星の子から直接火をもらうようになります。これは草原を過ぎて時代は火ではなく光となったため、星の子の持つ火を光だと認識しているからではないかと思います(わざわざ光に変換するパートを省いているとも言う)。
そもそも星の子の中身とでもいうのか、大元は光で、それを火に変換してキャンドルという形で出していたり、光エネルギーとしてケープという形で纏っていると思われます。
そう考える理由は、エナジーが減っていく順がケープ→炎→光となっているからです。
草原大精霊ムービーにて火を光に出来ることを覚えた星の子が光として火を与えている、とも考えられるかなぁ。星の子と大精霊とどっちがどうとは言い切れませんが、火は光であり光は火である、と双方が認識してることは確かかと。
孤島では火=光、とはまだ言い難いかんじがあります。
雨林と言えば、他の神殿には無いギミックムービーがあります。既に開いてるサバに放り込まれることが多いのでソロ勢はなかなか見ない&ソロ勢じゃなくてもスキップ安定なムービーですが、考察としてはとても大事なムービーです。
ここは雨林なので、ギミックで動く部分は雨林で行われていたことだったと考えられますし、木と思われる部分を横倒しにして青いダイヤが得られるような様子から、雨林エリアはこのダイヤを得るために開拓されたのだろうということがうかがえます。
先駆者や木こりは開拓に、探鉱者、光坑夫は開発に。運び人も運んでいるものは何やら光っているように見える丸い玉らしきものなので、光坑で得られた資源を運んでいるのではないかと考えられます。
扉ギミックで黄色いダイヤは舟の壺から降りてきて青いダイヤと合体しますが、壺を積んだ舟というと、雨林入って最初の壁画に描かれています。
この壁画は舟で壺を雨林神殿へと運んでいる様子を描いていると考えられます。
草原での光採取者の解放や大精霊ムービーと合わせると、中には光が入っているはず。つまり黄色いダイヤは光。
青いダイヤと黄色いダイヤを合わせて大きなダイヤを作り、扉が開く。
雨林の資源と光を合わせて大きなダイヤを作り、扉が開く。
扉のギミックムービーと雨林大精霊ムービーは同じことをしていると言えると思います。
つまり王国においてこの、資源と光を合わせたダイヤというものが、火から光の時代になったことと同等…プレイヤーに2回も見せるくらいだから同等以上に、Sky王国において最重要転換期であった、と考えます。
プレイヤーには既にここが滅びた王国であることは示しているので、察しなさいということなのだろうと思いますが、考察しない勢はここに来るまでに、ここが滅びた王国であることは忘れていることが大概なのではないかなと…。
雨林大精霊が槌を振るう様子や、ムービー後に神殿内の大きな装置が動くムービーがあることなどを踏まえると、雨林は工業化の時代。過労描写は草原にありましたが、雨林には死亡と思われる描写が出てきます(光坑夫)。このあたり、リアルですよね。
神殿内の装置は何なのかというハッキリとした答えは出ていません。
ずっと案内してくれるマンタや、扉を開けた後にマンタが増えることなどから、光の生き物の搾取、いやむしろ神殿は雨林に光の生き物が入らないようにしてた、とかいろいろ考えられるんですよね。
あと雨林は、エリアを進むにつれて時間が進む描写もあります。
通常エリアは一本道でまっすぐ神殿まで突き抜けられるのですが、太陽(光源)の位置が開拓地では左側(若木のほう)にあったのが神殿前では神殿の右側にあるので、Sky王国は北半球(違う)。
次が夕刻の峡谷なのでそれに合わせてあるのだと思いますが、同一エリアの中で時間が進む描写がはっきり判るのは孤島と雨林だけなのは意図的なのかどうか…(峡谷は大精霊ムービーを見ると太陽が更に傾いたオレンジ色になる…はず)。
技術の発展と工業化をこんなにも負の側面として押し出して描いていることはちょっと自分とは感性が合わないのですが、言わんとしていることは伝わっているので、表現方法としては間違っていないかなと思います。
雨林時代の描写は、峡谷だけではなく捨てられた地へも繋がるもので、「王国は既に滅びている」ことを、楽しい楽しい草原の後に思い出させるためにもあるのだと思います。まあこの後の峡谷でまたみんな忘れるんでしょうけどw
閑話休題。
雨林では、封印されている壺を開けると蝶々が出てきます…草原大精霊ムービーとを合わせると壺の中の光とは、蝶々のことなのではないか、とやっぱり考えてしまうのですよね。
光採取者が捕まえる光も生き物のような動きをしたり、雨林神殿内の装置を起動して扉が開くとマンタがたくさん出てきたり…やはり搾取なのでは…いやでもやはり違うようにも考えられる…精霊が光の生き物たちをどう扱っていたのかは、まだまだ断定はできないですね。
壺が封印されているのは、光採取者の解放ムービーを見るに、光が生き物であれただの光であれ、動くものであることは確かだし、舟で運ぶにしても事故が起こらないとも限らないので、封印すること自体は必須だったかと思います。
孤島から草原へはあまり時代の流れ、連続性というのが薄いように感じますが、草原以降は時代の連続性の描写が多いので、エリアを跨いでの考察が増えていきますね…。
峡谷 / Valley of Triumph
大精霊たちの中で唯一2人であり、星の子からの光が無くとも衰えたり傷付いたりしている様子の無い峡谷。
後ろに居たり、1人と見せかけたり、掛け合いのような振舞いがあったりと、スポーティーというよりはエンターテイナー味が強く、峡谷時代の豊かさが表れています。
大精霊ムービーでは最も衰え傷付くといったものから程遠く見える峡谷ですが、ホームのゲートは実はいちばん損傷が激しいのです。
2人でひとつ。片方だけが折れたゲートは何を意味するのか。
峡谷は他のエリアと違い、ルートがふたつ。片方はバリアがあるものの、頑張ってここの精霊を解放出来れば初見でも行くことが可能。
さて。ここの各入口も片方(陸レース側)のほうが損傷が激しいですね?ホームゲートと同じく、向かって右側なのも意味深。
0.18.0になるまで、ここからは原罪が見えず、ふたつに割れた山が象徴的でした。
バリアがあるとしてもおそらくメインルートは空レース(天球儀エリア)なのではないかと考えますが、では何故陸レースもあるんでしょうね?
天球儀エリアも原罪山が追加されはしましたが、峡谷のメインの山はやはりこのふたつに割れた山ではないかなと。
楽園の山もそうですが、人工的割った(掘った)ように見えます。間にスタート建物もありますし。
何故、山を割る必要があったのか。信仰的な問題からだとすると、高く美しい山は原罪山ひとつで良いと他を割ったとか。原罪山のようになること(地位的なものも含む)は無いという忠誠心から割ったとか。原罪山は元々割れてたから似せて割ったとか。考えられなくもないです。
象徴的に見ると、栄華の時代の亀裂なり、貧富の差があったり、繁栄には裏があるといったような不穏さを表しているのかなぁ…と。
大精霊が2人だからわざわざ山をふたつに割りました、では無い気がします。
エリアのデザインとしては、大精霊が2人だから山を割った、で良いと思うんですよね。だから、何故峡谷大精霊は2人なのかを考えないといけない。栄華の亀裂、繁栄の裏。割れた山に感じるものは、そのまま大精霊が2人いることに当て嵌めても良いのではないかと思います。
大精霊ムービーは、1人であるかのように見せかけながら彼らは登場します。見せかけではなく、元々ひとつであったものがふたつに別れたことの示唆であるとも考えられます。最初はシンメトリーに近い動きも、どんどんとそれぞれの個性を持ってシンメトリーから離れていきます。
そうして星の子が齎した光を奪い合うようにして、結局は空高く放り上げ、そのままムービーは終わります。
光を巡る争いが始まり、しかし光は誰の手元にも残らなかった…次に訪れる捨てられた地が既に滅んでいること、争いの跡が見られることを鑑みても、争い自体は峡谷時代には始まっていたのでは。
峡谷大精霊ムービーは、大精霊ムービーの中で特に楽しげでパッと見では不穏さも無く、エリア自体もテンションの上がる曲に乗せられてスピード感たっぷりに駆け抜けていき(初見時精霊1人も見つけられないあるある)、崩れた建物も経年劣化かなというかんじで悲壮さもあまり無い。
光を空高く放り上げたとしても、その空にはまだまだたくさんの星が光り輝いていて、闇が訪れるようなかんじでもない。何も考えなければ、ただただ楽しくあっという間に過ぎるボーナスステージ…王国史の中でもそういう時代だったのかもしれない。恐ろしいものは見なければ、無いのと同じ。
2人いるのは何故なのか。
何処だったかの瞑想お題のように、お互いが違う存在であることをどう認めればいいのかと、そういうこと「だった」のではないかなと。だって王国はおそらく、それが出来なくて滅んだのです。それがTGCの広めたい理念であるなら、それが無い、もしくは失ってしまったから、かの国は滅んだ。
滅びの表れである捨てられた地ではなく繁栄の極みの峡谷にあるのは、峡谷時代にそれが見失われてしまったからなんだろうなと。少なくとも草原時代には合ったのではないかなぁ。雨林時代にも残ってそう(光坑夫が仲間を弔うし)。
見失っていられたからこそ繁栄した、という側面もあるだろうなと思います。でもSkyではそこはあんまり重要じゃないっぽいというか…まあ既に滅んだ王国ですからね。繁栄の理由よりも滅びの理由を見せるゲームなので。
片方の損傷が激しいのは、争いがあって勝敗は決したのではないかと思われます。
それがいつの時代、どの陣営なのかは不明。2人いる大精霊のどちらかなのかも不明ではあります。が、いったんどちらかが勝ったのではないかと私は見てます。
ま、どっちが勝っても滅んだのではないかと思いますが。
この後の話は捨てられた地の考察めいたものになっていってしまうので、いったんお終い。
時代は不明としてますが前述の通り私自身は峡谷時代には既に争いは起こり始めていたと見てますし、その争いが王国全土に広がり滅びに繋がったと思ってますが、一応どちらかに軍配は上がったのではないかと。
捨てられた地 / Golden Wasteland
槍と盾を構える大きな体躯はまさに戦士。光が無いことで衰えている様子はあれど、孤島大精霊と違って傷付いているふうには見えない。
扉の閉じた神殿を背にし続ける捨てられた地の大精霊は、何と戦い、何を守りたかったのでしょう。
上から降ってきて槍を振り回す姿、めちゃくちゃ格好いいですよね。閉じた扉の向こう側の精霊たちにはとても頼もしい背中に見えたと思われます。
その様にややへっぴり腰になる星の子も、随分生き物らしくなったように感じます。
倒れ伏す大精霊の槍に星の子が自ら光を授けることからも、星の子に意思があることが伺えます。ただ導かれるままに従うのではなく、感じ考えて行動しているように見えます。
さて。捨て地大精霊の持つ槍と盾は、神殿前のエリアにたくさん転がっています。
これは闇花があるので多くの星の子がよく見るであろう物ですが、まさに大精霊の持つ組み合わせで刺さっています(貫通の仕方としては槍に盾が刺さってるんだと思いますがね)。
神殿前のエリアでは2種類の盾と2種類の武器を見ることができ、2つの勢力があったと考える方が多いです。
が、盾はともかくとして武器は精霊が使うには大きく、大精霊でなければ扱えないサイズに見えます。
ので、全部捨て地様がぶん投げる用では説を個人的には唱えたい…。
(AURORAの季節、追慕の季節にて精霊たちが盾を構え、武器を振るう様が出てきましたのでこの説は取り消しとさせていただきます。
更に、攻撃し合う者が同じ盾や武器を使用している、新たな武器が増えたことなどから勢力は2つではなく2つ以上と考えられ、11月時点で考察していたよりも彼らの争いははるかに混沌していたと2月時点では考えています。)
峡谷のときに峡谷時代には既に争いは起こり始めていたと言っていたのですが、捨て地大精霊が神殿を背に何かと戦っていたのは王国末期、仮に精霊たちが互いに争っていたとしてその最後のほうか勝敗のついた後ではないかなと思います。
(こちらもAURORAの季節に捨てられた地の大精霊が登場しないことから説を取り消します。むしろ捨てられた地の大精霊が戦っていたのは動乱の初期であり、砕ケル闇の追想から大精霊たちはピンクダイヤのところで力を失い、その後大精霊たちの不在も相まってより動乱は激化していったと考えられます。)
これは所変わって暴風域なのですが、暴風域にあるのは捨て地大精霊の持つ盾と、持たない剣です。
捨て地大精霊が守りたかったものは背を向けた神殿、それ以降、つまり書庫と暴風域(原罪山)であると考えると、やはり剣も槍も両方とも捨て地大精霊がぶん投げる用だったと思うのですよね。
(これも取り消すのですが、飾られているものが大精霊の持つものと違う点については、AURORAの季節、追慕の季節から必ずしも敵味方で持ち物が揃えられているわけでは無かったことから、剣と槍の両方を大精霊は扱えたのではないかという部分は2月の現時点でも自説として唱えておきます。)
剣を踏めないので確信はできないですが、剣は金属製、槍は石製に見えます。
元々はより丈夫で強い金属製の剣を使っていて、資源か人材の不足により石製の槍へと装備の質が落ちたのでは無いか。剣などの金属物の加工に光が必要で、光不足により作れなくなった(文明の後退)のでは無いか。とか。
あと勢力によって武器と盾が違っていたとして、現実の戦争で起こっているように、相手方の放棄した武具を再利用していたなども考えられます。
捨て地大精霊が戦っていた相手も、精霊なのか光の生き物なのか闇の生き物なのかも不明なので、現時点ではなんとでも考えられますねぇ。
最悪、その全てと戦っていた、とかも有り得るなと。砕ケル闇ノ季節を過ぎたいまでは考えることが出来たり。
砕ケル闇ノ季節では闇が原罪山から降り注ぐ様を追体験させられたので、光の減少、闇の訪れ、闇の生物の横行、精霊同士での争い、は間を置かずほぼ同時進行かなと思いますね。
光の生き物は精霊を襲うというよりは、彼らも原罪山を通って光の循環に行くのだとすれば、単にそこに居る精霊たちが邪魔だっただけの可能性とかもあるかなぁと。光生物が叛逆したというより、精霊たちがその行動を理解出来なかったが故に対立したような気がする…。
というのは、AURORAの季節の第2クエストを見て思ったことなんですけどね。
捨て地の大精霊も、雨林大精霊と同じく自身の身体の復活よりも、再び槍を振るえることに喜びを感じているように見えます。
大精霊ムービーでは身体の復活が一瞬しか映らない(よーく見ると胸元あたりが光始めるのがわかる)せいかなと思いますが。
天空で捨て地大精霊を呼び出すと、ちゃんと大精霊自身の光も復活していることがわかります。大精霊ムービーではそれを待たずに槍だけを見て再び立ち上がり、振るうんですよね。
この後の暴風域や原罪で、この勇敢さを思い出せということなのかなぁ。
誰かのために立ち上がり続ける勇気が、暴風域以降は必要ですからね。
書庫 / Vault of Knowledge
最後に星の子を導くのは、儚く座り込み、一見頼りなげに手招く書庫大精霊。
しかし装置に火を灯すよう促す様は意志の強さを感じさせ、他の大精霊が星の子に頭を下げるのに対して1人だけ直立不動という、地位や誇りの高さもうかがえます。
さあこれに、さあ。という書庫大精霊の押しの強さですが、私は初見時からずっと、感じの悪い大人だ…という印象が拭えません。
星の子から火をもらって灯すのではなく、星の子に灯させる。それはまるで「星の子は自分の意思でこの記憶を見たのだ」という責任の押し付けのように見えるのです。
選択肢を用意している振りをして半ば選択を取り上げて迫り、しかしそれは貴方が選んだ道だと言わんばかりのその態度……うーん。
孤島大精霊も選択を迫っていたでは無いかと言われればその通りなのですが、孤島大精霊とは違って弱った姿でそれをやるのが狡いと思うんですよね。
大精霊に光が戻ったわけではない、というところは峡谷と似てますね。峡谷はまあ、あれですけど、書庫は星の子に伝えることを優先していると取ることができます。けれどその伝えたかったことというのが、星の子の使命なのかどうかというと、やや疑問です。
同じ過ちを繰り返さないために過去を学ぶことは必要ですが、そもそも精霊・大精霊たちと星の子では身体の造りが違い、「同じ過ち」となるかどうかが怪しい。また、王国の復興は使命では無い。星の子は彼らの過ちから何を学べば良いのか、いまだによくわかりません。
プレイヤーのほうが精霊たちに近しい造りなので、プレイヤーは学んでると思うんですけどねぇ…でも星の子にとって何かそこから学べることがあるかと言えば、光の生き物には優しく対等に接しなさい、くらい…?
そして投げ込まれる「もう1人」の存在。
大精霊たちと同等の存在であるなら、星の子は彼にも光を授けなければならないはずなのですが、この「もう1人」は王国のどこにもいまだ存在していない。
この「もう1人」にも光を授けないと、この物語は終わらないのでは無いかな、と個人的には考えてます。
シーズンやアップデートによって存在の示唆は増えるものの、やはり何処にもいないんですよね…いつになったら会えるのか、それとも原罪で光を失った後に会うあの子がそうなのか。
私も原罪で会うあの子がそうなのではないか、と考える1人ではありますが、そうだとしてもいろいろと疑問は山積みなんですよね…そもそもあの子には光を授けることは出来てなくて、むしろ自分の星の子があの子から光を貰ってるわけですし。
書庫ムービーでは大人のような姿で描かれていましたが、追加された壁画では星の子寄りに描かれていることも、もう1人=あの子と考える所以です。
自分の星の子と同じサイズで現れるので、自分(星の子)=あの子とも考えられます。が、もう1人=自分(星の子)はまだ確信に至りません。
星の子は光を失ってあの子の元へたどり着くのに、あの子は光を失った星の子に光を授けることが出来るんですよね…しかもエナジー7枚分もくれるんですよ。あの子=星の子というよりあの子>星の子じゃないですかぁ…。
書庫ムービーでは何か丸いものを食べるような描写。
石窟壁画では彼自身が光り輝いている描写。
暴風域壁画では光るダイヤを掲げているような描写。
3つがそれぞれ微妙にニュアンスが違うのも気になるところです。
書庫ムービーに話を戻しまして。
頭を下げる大精霊たちの中で唯一下げない書庫大精霊ですが、これはやはり地位の高さを示しているのかなと思います。
方舟や環礁の壁画に出てくる書庫大精霊と同じ額当てを着けたような精霊が、着けていない精霊たちより高度な役割を果たしているように見えるので。
大精霊の中にも序列が出来たか、元からあったか、どちらにせよムービーの「もう1人」に近かったから地位が高かったのではないかと思われます。石窟壁画でもいちばん近いところに書庫さまがいますし、書庫エリア自体も原罪にいちばん近いところにあります。
大精霊が頭を下げる理由が、助けてもらったからなのか星の子=もう1人だからなのかでだいぶ意味が変わってしまうのですよね…。
助けてもらったからだとすると、峡谷も頭下げてるのがちょっと疑問(峡谷ムービーは謎だらけだ…)。
星の子=もう1人なら書庫も頭を下げるはずなのでやはりそれもおかしい…。
どちらも微妙に納得がいかないのですよねぇ。
結局私は「何故書庫大精霊は星の子に頭を下げないのか」については保留中です。わからなすぎる。
書庫大精霊ではなく装置に火を灯させて記憶を見せる意味も、頭を下げない意味も、峡谷並によくわからないムービーだなと個人的には思ってます。
(ここから追記)
Sky Beta Memories: Exploring the Forbidden Vault - 18 Mar 2018
紹介していただいたLightAwaits(現在のChildren of the Lightのワールドリリース前のSkyのサブタイトル。リリース前のオープンベータというくらいの認識で良いと思います。開発の試行錯誤がうかがえます)時代の動画なのですが、16:27あたりから書庫大精霊ムービーが始まり、この時は書庫大精霊も星の子に跪いていたようです。むしろ一番最初に跪いてすらいます。
さすがに実装のし忘れでは無いと思いますので、やはり書庫だけが跪かないのには意味があると考えて良いと思います。
現行版との違いによって変わっているのだとすると、もう1人の存在の有無か、壁画に描かれているのが精霊ではなく星の子だという点が関わっているのではないかと個人的には推測しますが…
最後の一人は...今は存在しない原罪の大精霊もしくは王・王子なのでは🤔?
失礼っ。