これは長くなりますね…(そもそも私の記事は長くなりがちですが)
そもそも一国の歴史です。現実世界の国の歴史がそうであるように、1口には語れない。しかし、やってみましょう。
まずは王国の歴史について触れているゲーム内外の資料について触れてみましょう。
それより前に、孤島から暴風域・原罪は王国の「7つの地方」であることに言及しなければなりません。これは各所で触れられます。たとえばストアの紹介文でも書かれていますし、ヘルプにも暴風域が7つ目の地方であることが書かれています。オープニングでも何回か言及されます。なにより「地図」を見れば、それぞれの地方がそれぞれ「別の場所」であることがわかるはずです。
それぞれ別の場所である王国の7つの地方。それらのうち孤島から書庫までは以下の6つの時代がテーマとして割り当てられていることが分かっています。
これについてはGnomon Schoolの講演(https://youtu.be/FwcNVlpymNk (英語))(書き起こしと和訳はこちら→https://wikiwiki.jp/archeosky/Gnomon%20School%20%E8%AC%9B%E6%BC%94%E8%B3%87%E6%96%99 )でのYuiさんの言及が詳しいです。
孤島:原始的で、技術はほとんどない
草原:文明がまだ自然と、つまり植物や動物と調和して生きている
雨林:工業化が始まったばかりで、テクノロジーの発展が見られる
峡谷:文明のピーク。豊かな資源を利用し、たくさんの物を蓄え、たくさんの物を作り、楽しんでいる
捨てられた地:(峡谷時代に)やりすぎて文明が衰退している
書庫:文明が崩壊した後、人々ができる限りのものを集め、生き延びようとしたり、次の世代のために何かを残そうとしたりする
また、2020年のGDC SummerでのYuiさんの講演では、(講演そのものの動画がないことは口惜しいですがその資料が乗っている記事はこちらにあります→https://www.4gamer.net/games/394/G039457/20200813053/ )
孤島:原始的
草原:自然との調和
雨林:工業化
峡谷:文明のピーク
捨てられた地:終末
書庫:終末後
に対応しています。
ゲーム内での描写を見ていきましょう。
まず最初に見るのはオープニングでしょう。
「我らの始まり、それはやがて星々のもとへ還る喜びを胸に生きていました」
「ともに、我らは雲の中に王国を築きました
そして星の光を使い七つの地方をつないだのです」
「しかし次第に空に闇がしのびより
王国は砕け散ったのです」
これがオープニングで語られる王国の歴史です。
とはいえ、ここからわかるのは最初の頃の精霊たちが星を特別視していたこと、次に7つの地方のある王国を雲の中に作ったこと、闇が来て王国が砕け散ったことくらいです。
ただ、特筆すべきところがひとつあります。最後の「砕け散ったのです」はわざわざ太い赤字で強調して書かれています。英語版オープニングでこれに相当するのは「shattered」。砕ケル闇ノ季節の英語版は「Season of Shattering」です。つまり、砕ケル闇ノ季節と王国の終わりは関連があるのではないかと推測できます。
砕ケル闇ノ季節の最後の「いにしえの追想」では、大精霊が原罪の大きなダイヤに見えるものから弾き飛ばされる様子が描かれます。つまり、王国末期に大精霊に何かが起こった可能性が高いのです。
それを裏付けるように、オープニングの続きでは、初めて星の封印に近づいた時、神殿に行った時、草原に入った時このような言及がされます。
「このような星の封印は、かつて王国の各地方をつないでいたのです
この封印の先に見えるは神殿、大精霊たちが精霊たちを導き、星へと還していた場所です
ですがその大精霊たちも落ちて久しい…」
「祭壇に光を灯し、この神殿の大精霊を目覚めさせましょう」
「7つの地方で、他の大精霊たちも目覚めの時を待っているでしょう」
つまり大精霊は昔は神殿で精霊たちを星に還していて、今はなんらかの原因で「落ちて」眠りについている、そして精霊たちを星に還せない状態にあるということがわかります。実際祭壇に火をつけて瞑想すると、精霊たちは天に昇り、地方の星座を構成する星の1つになります。裏を返せばそれまでは星座に現れません。最初の頃精霊を解放しても神殿に行くのを忘れてアイテムが交換できなかった星の子も多いのではないでしょうか。
他にメインストーリー内で王国の歴史に触れているのは書庫の大精霊ムービーの絵です。
…が、説明すると長くなる割にはあまりめぼしい情報がないのでほぼカットします。
最後の絵だけ触れておくと、書庫の星座から絵が現れた後に、他の絵よりも上に王冠の星座が現れます。
そこから現れるのは、なにか巨大な建造物を背景に、王冠を被り、何か丸いものを飲み込もうとするとてつもなく大きな存在と、それを拝む精霊たちの絵です。
その後ムービーが終わって暴風域への門が開きますが、暴風域の後半で絵の背景にあるのと似たような建造物が見られます。
王国には「7つの地方」があることを踏まえ、この絵は暴風域(+原罪)に対応し、巨大な人影はその地方の大精霊、そして絵が他の地方より上に現れること、王冠を被っていることから通常の大精霊よりも上の存在、Skyという王国の「王」であるのではないか、と推測されています。
ここで先にSkyの歴史に関する私の見解をまとめておきましょう。
孤島時代:精霊は舟を使う術を覚える(AURORAバーチャルコンサートより)が、技術はほとんど持たない(Gnomon Schoolでの言及より)。光や星が崇められている。王子が誕生する(預言者の季節より)。
草原時代:精霊は光の生物から光を分けてもらい(笑う光採取者精霊などの記憶より)、それによって生活している。生物たちと精霊は調和している(Gnomon Schoolでの言及より)
雨林時代:鉱石が発見され、ダイヤが発明される(旧バックストーリー案及び雨林の大精霊のムービーのBGM名「The Invention(発明)」より)。精霊たちの欲が深まるが、まだ生物との関係は保たれている(AURORAの季節・バーチャルコンサート)。
峡谷時代:王子が戴冠し、王になる(旧バックストーリー案コンセプトアートより)。力を持った王は独裁化していく。精霊たちはダイヤによって文明を著しく発展させる(峡谷全般の様子より)が、同時に欲深くなって生物を利用対象と見るようになり、生物と精霊の攻防が始まる(AURORAバーチャルコンサートより)。光が濫用され、それによって峡谷の気温は急激に下がっていく。精霊は何らかの基準でふたつに分かれる(赤と青の旗より)
捨てられた地時代:精霊の欲はさらに深まり、同じ精霊同士ですら疑心暗鬼になっていく(追慕の季節より)。やがてそれは王国が始まって以来おそらく初めての争いへと発展し、その後も何度も戦争が起きる(AURORAバーチャルコンサートなどより)。生物は完全に光を搾取するための対象となる。空気、水、そして心、全てが汚染され、「闇の生物」が生まれる(AURORAの季節より)。王は独裁によって自らを崇めさせ権力欲を満たそうとするが、自らの老いに気づいた王はこれを恐れ始める(捨てられた地のテーマのひとつである「ミッドライフクライシス」より。詳しくは後述)。それがピークに達した時、王は多くの光の生物を巨大なダイヤに吸収し(暴風域の壁画と砕ケル闇ノ季節より)、それを取り込むことで不老不死になろうとする(後述)。王は大精霊と多くの精霊を集め盛大な式典を催したあとダイヤを取り込んだ(暴風域の壁画・書庫の壁画などより)がそれは失敗し、王は闇の嵐そのものになり、大精霊は「落ち」、暴走したダイヤは闇の破片を王国中に撒き散らすことになる(砕ケル闇ノ季節より)。王の中にあった光の心もダイヤに飲み込まれてしまう。汚染、光の枯渇、闇の生物の発生、大精霊と王の失踪、闇の破片、それらによって恐慌に陥った精霊たちは生物も精霊も敵も味方も関係なく殺し、やがて王国は滅びる(AURORAバーチャルコンサートより、また捨てられた地が「終末」に対応することから)。
書庫時代:わずかに生き残った精霊たちは書庫に身を寄せる(追慕の季節より)が、精霊の時代の終わりが近いことは明白である。そのため彼らは記録を残すことにした。彼らが生きた証を残すために。次の世代がもし現れたなら、同じ過ちを二度と起こさないように。そしてこの事態を引き起こしてしまった後悔とともに、死にゆく彼らにはもうどうすることも出来ないこの闇に囚われた世界が、闇に飲まれた生命が、時の流れと共に癒されますように、と一縷の望みを抱きながら。
精霊の時代からはるか未来(現在):数少ない残った光はやがてその数を増やし、そして進化した種が生まれた(AURORAバーチャルコンサートより)。「星の子」と呼ばれる彼らは失われた光を闇から解放するためにこの地に舞い降りた。
さて、これからは季節ごとに見ていきましょう。いつなのか分からない季節は飛ばします。
まずリズムが弾ける季節と夢かなう季節、それから表現者たちの季節は峡谷時代、それも近い時期であると思われます。なぜなら精霊の記憶の中で共通する精霊が比較的多いからです。しかもこれは峡谷のみに特に多いのです。季節全体の雰囲気も華やかで、特に夢かなう季節と表現者たちの季節ではダイヤがふんだんに使われており、まさに文明の最盛期と言えるでしょう。
ただし、共通する精霊が多いことは、それだけ峡谷時代が、繁栄の時期が短かったということの裏返しでもあるかと思います。
魔法の季節は王国末期、闇の嵐と闇の生物が発生した直後であると思われます。方舟に描かれた壁画では雷のようなもので船が墜落し、暗黒竜が現れています。この季節のオープニング文には、「かつて、とある精霊の一団が成功を夢見て船旅へ出で立ちました(A group of Spirits started their voyage towards prosperity.)」とあります。prosperityには金銭的な成功というニュアンスがあります。また季節クエストクリア後を見ると分かるようにこの船は商船です。意気揚々と魔法を積んで出航したわけですから、最初は何事もなかったのでしょう。まさに航海の途中で闇の嵐と闇の生物が発生したのではないかと思われます。
このことは方舟に描かれた壁画からも読み取れます。出発したと思われる場面では星のようなものが多く見えます。つまり晴れているはずです。
その後雲が現れると同時に雷のようなものが落ち、舟は墜落します。
楽園の季節は恐らく峡谷時代でしょう。観光文化がありそうな時代なので。
この時には既に峡谷から遠く離れた草原の離島でなければこのような豊かな生態系は見られなかったのかもしれません。
また、寒い峡谷の住民にしてみれば南国のようなこの島々は魅力的に映ったかもしれません。
落ちて割れた鐘については、闇の嵐が最盛期はここまで及んでいたことを示していると考えます。
瞬きの季節も観光的側面が強いため楽園の季節と同時期かと思われます。楽園の島々が海の観光地なら、草原連峰は山の観光地というわけです。
預言者の季節は恐らく孤島時代の末期です。ここの壁画で「王子(後述)」のような人物が現れます。この人物は各試練で4つの知恵を手に入れ、それを4つの地域に分配し、最終的に各地域を思わせる円環の中で光り輝きます。
この人物が終始金色で描かれることからも、この人物が特別視されていたことが分かるでしょう。
羽ばたく季節より前に深淵の季節に触れましょう。
この季節は王国が滅びたあとのものだと思っていたのですが、そうでなくても成り立ちそうです。たとえば王国末期にはダイヤやその材料になる鉱石が貴重な資源になっており高値で売れたとしたら、危険を顧みず廃墟からダイヤや鉱石を集める者達が現れても不思議ではありません。というわけでこの季節がどの時期かについては保留です。
羽ばたく季節の第4クエストから第5クエストでは、王国末期と思われる描写があります。
まず画面が揺れ、風の街道エリアが捨てられた地のように暗くなります。 忘れられた方舟方面への入口から岩と共に黒い風が吹いてきます(暗黒竜のものと思われる赤いサーチライトも見えます)。そして鳥達が乱気流に巻き込まれてしまいます。
鳥たちを助けた後も災難は続きます。大きな岩がいくつも飛んできて合体し巨大な岩になり、そこから巨大な蝕む闇が生え、そして風が止まってしまいます。その蝕む闇には鳥やマンタなど光の生物が囚われてしまうのです。
正直これだけで滅びるには十分だと思うのですが、これはまだ序の口であったことが砕ケル闇ノ季節で分かります。
暴風域の山から闇の破片が落ちてきます。
地面から生える赤い岩は触れるだけで星の子の光の翼を散らし、赤い岩の生えた闇の蟹は気絶することなく星の子を吹き飛ばし、浮遊する赤い石も星の子の光を奪う…闇の生物についてもそうですが、光の翼をいくつも持つ星の子でさえ苦しむほどなのですから、精霊や生物はひとたまりもなかったに違いありません。
その周りに現れる蝕む闇も厄介です。 蝕む闇が精霊や生物を囚える描写はいくつかあります。
雨林の涙ぐむ光坑夫精霊たちは王国末期のこの闇の破片の落下による落盤と蝕む闇の増殖に巻き込まれたのではないかと私は推測しています。
砕ケル闇ノ季節の直前には暴風域にも壁画が追加されました。そのタイミングから、この季節に深い関わりがあるのではないか、とも言われているこの壁画には、大きな人物が山の上で頭上のダイヤに光を集めている、あるいは頭上のダイヤが光り輝いている、その下で多くの精霊が拝んでいる様子が描かれます。
個人的にこの場所は天空に向かう際に通る壊れた建造物の頂上ではないかと思います。山の上にありますし、周りにある6つの何かは大精霊像を思わせます。
そして蝕む闇を溶かして赤い闇の破片を浄化するとマンタやクラゲ、蟹などの生物の像が現れ、集めるとそれが光になって天に昇っていきます。これは精霊の記憶の解放と似ています。つまり生物の魂を天に送っているのではないかと推測できます。
闇の破片は「原罪よりこの地方に墜ちた闇の破片」とゲーム内で言及されます。そしてこの季節が季節のマークや
オープニングからして
原罪のダイヤに大きく関連していたことからも、闇の破片もその中にあった生物の魂も、原罪のダイヤの中にあったと推測できます。つまり原罪のダイヤは生物の(それも恐らく膨大な数の)魂を吸っていたのではないかと思うのです。
なぜか。Skyの中で見られるダイヤは炎を吸収しなければ起動しないからです。
コンセプトアートでは、炎は生物に結び付けられます。また、星の子も胸からキャンドルを出し、その時胸にある光は消えます。生命の魂が炎であるなら、生物から炎を集めることは可能なはずです。
暴風域の壁画が砕ケル闇ノ季節に関連するならば、その壁画にあるダイヤは原罪の大きなダイヤであるはずです。あの壁画は生物の魂を大きなダイヤに吸っている様子なのではないかと思いました。
ではなぜそんなことをしたのか。その話に移る前に、AURORAの季節と追慕の季節についても触れましょう。
とはいえAURORAの季節(というかバーチャルコンサートですが)についてはこの記事(https://trnk999.wixsite.com/vcos/forum/auroranoji-jie/aurorabatiyarukonsatonokao-cha )でほとんど考察していますが。
AURORAの季節については一点だけ。第4クエストについてです。
王国で戦争が起きていたあの時期に、「現在の」暗黒竜が誕生したのではないかと思うのです。
あのクエストでは3匹の暗黒竜が出てきます。うち2つは小さく、最後に出てくるものは大きい。
小さい方の暗黒竜の出番は短い。負傷した希望の君精霊の元に向かう戦士の精霊たちの前に立ち塞がりますが、
つぎのシーンでは腹を刺されてひっくり返っているのです。
このことから、一般の精霊はともかく戦士にとってこの小さな暗黒竜は脅威でもなんでもなかったことがわかります。なんならもうこの時代にはこのような小さな暗黒竜はうようよしていて、効率的な撃退法もとっくに編み出されていたのかもしれません。
しかし、この後大きな暗黒竜が現れるのです。
希望の君を運んでいない方の戦士の精霊は剣を投げます。
あの暗黒竜に向かって、すごい勇気だとは思います。あるいはこの暗黒竜の恐ろしさを知らなかったからできたのかもしれません。小さい暗黒竜のように、すぐに倒せるものだと思ったからこそのこの行動だったのではないでしょうか。つまりこの「大きな暗黒竜」のことを彼らは見たことがなかった、その恐ろしさを知らなかったのではないでしょうか。
武器の投擲はこの後の追慕の季節での傷ついた戦士精霊の記憶にあるように、この時代の戦い方としてはごく一般的なものだったようです。威力は大きく、しかも狙いもかなり正確。この場面でもまっすぐ頭を狙っています。少なくともどこかには刺さってダメージを与えるはずなのです。
しかしそれに対する答えは無情です。
ここで初めて、小さい暗黒竜は出さなかった赤いサーチライトが出るのです。
結局精霊たちは隠れざるを得ませんでした。確かに武器を投げたにもかかわらず、暗黒竜は何事も無かったかのように悠々と飛んでいきます。
2シーンで簡単に撃退された小さな暗黒竜に比べ、大きな暗黒竜は5シーンも使ってその恐ろしさを見せつけます。これが現在の、対処しようがない、恐ろしい暗黒竜が、戦場に「初めて」出現した瞬間だと私は思うのです。
追慕の季節に移りましょう。この季節の精霊たちは戦争末期、あるいは戦争後に書庫に身を寄せた数少ない生き残りの精霊たちだと思います。当時王国がどのような様子だったかは精霊たちの記憶を通して垣間見ることが出来ます。
喪失の老人精霊は兵士になった子供を失います。戦時下ではよくあることと言えばそれまでかもしれませんが、当然身近な者の死は悲しいことです。
懇願する幼子精霊は共に遊んでいた大人を失います。その場で殺されたか連れていかれて二度と会えなかったかは分かりません。おもちゃが破壊されているのであの遊びが良くなかったのか、
それともそれは口実にすぎなかったのかすら分かりません。 ただ、読み取れることがあります。
兵士が一般市民をいきなり逮捕する、あるいは裁くことが出来る、ということです。その権限があった。
それほどこの時代の兵士には力があったのではないか、ということがわかります。
ぬき足の茶人精霊は看病していた老人を失います。恐らくはあの「茶」は薬草茶であったと推測します。看病していたから、というのもありますが、その後の記憶も関係しています。 兵士の後ろをぬき足で、気づかれないように通る。ムービーでは1度覗いてから隠れ、目を閉じて深呼吸し、それからぬき足で歩き始めます。
なぜそれほど用心しなければならなかったのでしょうか。そもそもなぜ兵士はあそこを見張っていたのでしょうか。
あそこは単に壁が崩れている場所に見える。少なくとも正式な門には見えません。単にあそこを通っての往来が禁止されていたとすれば、わざわざ見張りをおかず塞げばいい。あるいは両側に見張りを置くべきです。つまり限られた者だけを通すことになっていたのだと思われます(茶人精霊は後ろを通っているのですからどうやら抜け穴があったようですが)。茶人精霊があれほど用心していたところを見ると、茶人精霊のような者が入っていると知れたらただでは済まなかった可能性が高いです。なぜなのか。
そこに入って、茶人精霊は何かを採取しています。
あれが薬になるもの、あるいは栄養のあるものだったから、見張りがいたではないかと思うのです。
そもそもあの時代は資源の少ない時代。薬になるものも少なかったのかもしれません。そんな時代に兵士が権力を持ったらどうなるか。もちろん、自分たちのために独占するでしょう。戦い、傷を負うのは自分たち。戦いもしない、役に立たない市民に使うなんてもったいない、などと言って。
それでも茶人精霊は危ない橋を渡ってまでそれを取りに行った。老人の苦痛を少しでも和らげるために。しかし、老人は死んでしまったのです。
傷ついた戦士精霊も精霊を亡くしますが、最初は随分気楽です。槍を投げて相手が逃げていくのを喜び、相棒とハイタッチして、花を買おうとする。
しかし、恐らくは追い払った精霊たちによって、目の前で精霊が死にます。
親しかったかどうかは分かりません。しかし守る対象だったはずの無辜の市民が、なすすべもなく、目の前で死んだという事実だけでも、この精霊の心に深い傷を残したに違いありません。
このように、戦争末期、王国の終末期はかなり過酷な社会情勢だったようです。
さて、話を戻しましょう。暴風域の壁画にて、なぜあの人物はダイヤに多くの光を集めていたのか。それについての私の見解を述べるには、Skyの歴史、そしてSky王国の「王」が開発段階においてどんなものだったのかに言及する必要があります。
以下ご紹介するコンセプトアートは古いものであることをご了承願います。実際現在のものとは明らかに異なる設定が多く見受けられます。しかし、Skyの根底にあるものは変わらないため、古いコンセプトアートでも伝えたかったことは現在のSkyに通じるものがあると私は考えます。
まず最初に、Tom Zhaoさんの描かれたコンセプトアートが掲載されているサイト(英語)です。
この中には、王国の歴史に触れるものが存在します。
その流れを説明します。
なおこの中には「メガバード」という概念も存在しますが、それはAURORAの季節についての私の記事に詳しく書いてあります。
原画はサイトを、原文や和訳は考察wiki(https://wikiwiki.jp/archeosky/Tom%20Zhao%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88#i7328c94 )を見ていただくとして、このうち、方舟は魔法の季節では商船として登場しましたし、とても大人数を載せられるものとは思えません。また、精霊同士が戦っていたこともAURORAの季節や追慕の季節で語られています。全文を載せると絶対長くなるのでそれらの現在と差異のありそうな部分を省いて簡単にまとめると、こうなります。
まずこの年表には4つの時代があります。
火の時代、ダークストーンの時代、嵐が起きたあとの時代、そして現在です。
・火の時代
火の時代の最初の部分では、この世界の生命の仕組みについて触れられています。「全ての魂はメガバードの一部である。一つ一つの魂は人間の世界と空の世界を通り円環となって巡っており、メガバードに再び戻る時まで、経験を集め続ける。私たちは皆ひとつであり、ひとつは我々すべてである。」
とりあえず(メガバードというものを通して)魂は循環しており、全ての生命は(メガバードを通じて)つながっている、ということになるでしょう。
「メガバードは炎を王子と生物に与え、王子は6人の先祖(大精霊)に国土を監督し文明を育てる役目を与えました。
古代人(精霊)と生物は火を崇拝していて、全ての命は光によって結ばれていました。」
・ダークストーンの時代
「王子はシャーマンの先祖(雨林の大精霊は過去の設定ではシャーマンの性質を持っていたと第2回公式日本語生放送(https://youtu.be/12iKbUJRiy0 )で語られています。)と共に禁じられた森(雨林)を探索し、炎を吸う性質を持った、暗闇と石を本質とする物質を掘り出します。
彼らは新しい技術の力を利用し、また技術を高めるために、この闇の石、ダークストーンを求めて森を掘削し、古代人(精霊)の文明は一段と新しい高みに昇ります。
王子は先祖(大精霊)たちに、先祖たちをgodly(「神のような」と「信心深い」のふたつの意味を持つ)の状態にさせる特別なダークストーンを贈ります。古代人たちは黄金時代に突入し、王子は戴冠して王となります。しかし、闇の物質は王子と先祖たちを汚染し始めます(corruptには堕落させるという意味もある)。また、ダークストーン・テクノロジーは炎を多く吸い過ぎるという難点があったのです。」
黄金時代とは峡谷の時代のことでしょう。実際峡谷は王の戴冠と関係があったことが120枚目のコンセプトアートに書かれています(https://wikiwiki.jp/archeosky/Tom%20Zhao%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%88#waeb8e2d )
「古代人たちは無関心になりメガバードとのつながりが切れた状態になります。渡し守の先祖(孤島大精霊?)は導くべき新しい魂がなくなって退任します。」
つまり精霊たちはメガバードに還らなくなり、少なくとも精霊については新しい魂も生み出されなくなったと考えられます。
「そして大きな争いが起き、闇に満ちた嵐が生み出され、汚染が王国中に広がります。王は嵐の中心に囚われます。」
嵐とは暴風域の嵐のことでしょう。
・嵐が起きたあとの世界
「生物は嵐の中心に捕まって汚染され元の面影を残さないほど見た目も変わってしまいます。彼らは現在道を見失った悪意あるものとして地を彷徨っています。」これは闇の生物についての描写と思われます。
「生物たちが再びメガバードに向かって渡りの旅をし始めるまでに、何十年もの時がすぎました。しかし、世界は破壊され、少し油断すれば危険に陥りかねない状態です。」
再び渡りの旅をし始めたということは、裏を返せば一旦は生物の渡りの旅が、生命の循環が完全に途絶えたということです。それが可能になるくらいには世界は回復したものの、それでもまだ光に乏しく危険な状態であることがわかります。
そして「新しい子孫の種族」、星の子が王国に来たことも語られます。
・現代
ここには説明がありません。なぜならここからは星の子の時代だからです。
ここから王子、王についての事柄を抜き出します。
まず王子は特別な存在であったことが伺えます。それから他の大精霊を選んだのも王子でした。
雨林で王子はダークストーンを見つけます。
峡谷で王子は王になります。しかし闇が王を堕落させます。
最終的に王は闇の嵐の中心に囚われます。
ちなみに英語ですので、設定画では王子はprince、王はking、堕落した王はcorrupt kingと呼ばれます。
また、124枚目では過去の設定において星の子の旅の中で王が暴風域のラスボスのような存在だったことが書かれています。
163枚目には王の像と王(と星の子)のサイズ比較画像があります。王は星の子に比べてものすごく巨大ですが、王の像はさらに王の2倍の大きさがあります。権力者が自分を偉大に見せるために自分よりも大きな像を作ることはよくあります。そして捨てられた地が堕落の時代だと考えると、この頃のSkyの王も権力欲が強かったのではないかと思われます。そして、この王の像はゲーム内の捨てられた地の戦場エリアにあるものとよく似ているのです。
このコンセプトアートで王が八芒星型の仮面を付けていることにも注目です。
砕ケル闇ノ季節では、最後のいにしえの追想でダイヤを中心に吹き飛ばされる大精霊が描かれます。
しかし、上空をよく見ると、上記のコンセプトアートによく似た八芒星型の何かが落ちてきているのです。
現在のゲーム内では暴風域に王は見当たりません。王国の滅びとともに消滅したのかもしれません。しかし、他の大精霊には会えるのに、王だけいないということはあるのでしょうか?
…これは荒唐無稽な話に聞こえるかもしれません。が、私はもしかすると、王は暴風域の嵐そのものになったのでは?と思うのです。
ここからは根拠の薄い空想も強めになってきます。なにぶん情報が足りないもので…ご注意ください。
古今東西、権力者、あるいはもっと広く、「人間」が最後に求めるものの筆頭はなんでしょう。私はそのひとつの例として「永遠の命」が挙げられると考えます。全ての富を手に入れ、力を手に入れ、しかし彼らは絶対に克服できないものがあると知るのです。それが「死」です。老いと死は避けられない。何を手に入れても、死によって、それは全て奪われてしまうのです。
たとえば中国の皇帝は不老不死を求めて多くの方法を試しました。西洋でも錬金術による不老不死の研究は一時期盛んに行われました。
Sky王国の中の7つの地方。これらには、少なくとも孤島から書庫までには、先ほど一国の歴史の各時代が対応するテーマとして存在する、と言いましたが、実際にはテーマは3つ存在します。あと2つのうち1つは、「夜明け」から始まり「夜」に終わる「一日の時間帯」です。そしてもう1つが「一人の人間の一生」です。
第1回公式日本語生放送(https://youtu.be/cK4exWD56EA )でYuiさんが語ったものはこうです。
孤島:産まれたばかりの時期、何もかもが目新しく、理解が追いつかない
草原:子供期、何もかもが明るく楽しく暖かい
雨林:ティーンエイジ、あるいは思春期、心が複雑になる
峡谷:体も心も成長した成熟期
捨てられた地:体が衰え、自信もなくなり、死に近づく悩み多い時期
書庫:人生の終わりを悟って次の世代に向けて何かできるかなというような心境になる時期
そして捨てられた地についてはGnomon Schoolの講演ではミッドライフクライシス、という言葉も使っています。
私はこの「人間の一生」というテーマは、星の子の各地への印象にも対応していると同時に、「王」の一生を表しているのではないかと推測します。たとえばコンセプトアートの、成人期がテーマの峡谷で王子が戴冠して王になるという描写は、一種の通過儀礼、成人の儀式に対応するのではないかと思います。ただし、その一生は捨てられた地時代までだと思っています。なぜなら最初の辺りで述べたようにテーマとして捨てられた地は一国の歴史の「終末」に対応する。書庫は「終末後」なのです。つまり王国自体は王の死(闇の嵐への変貌)によって、捨てられた地時代で終焉したのではないかと思うのです。
捨てられた地は人生というテーマでは老いを自覚し、死に近づく時期に対応します。王国が栄華を誇ったあと、王は王国の衰えとともに自分の死が近いことを悟り、そして恐れたのではないでしょうか。そして一心不乱にダイヤに膨大な光を、無数の魂を集めた。それが自分が永遠の命を得るための方法だと考えたから。
もしそうだとしたら恐ろしいことです。自分の命のために無数の命を食い物にする。これほど自己中心的なことがあるでしょうか。
しかしSkyの中で星の子、そして光はストーリーライターさんの講演(https://youtu.be/wQP9spsb_IQ (英語))(和訳などはこちら→https://wikiwiki.jp/archeosky/GDC2019%E8%AC%9B%E6%BC%94%E8%B3%87%E6%96%99 )で触れられているように、「利他主義・繋がり・自己犠牲」で定義され、闇は「利己主義・繋がりの断絶・尊大さ」で定義されます。自己犠牲の逆であるならば、「奪うこと」も定義に含まれるでしょう。現に闇に属するものたちは光を奪います。
では終末期の王がもし、原罪で自分の命を削って他者に分け与える星の子と対極にいる、王国を滅ぼすほどの闇の極致だとしたら。全ての命を自分のために消費する究極の利己的な人物であってもおかしくはないのではないでしょうか。
そしてSky王国の独裁者である王があまりにも強大であるために、あるいはそのカリスマゆえに、精霊たちは逆らえなかった、あるいは体よく言いくるめられて喜んでそれに従ったのではないかと私は考えます。もしかしたら反発する者達もいたかもしれません。それが捨てられた地の争いの発端かもしれない。しかし結果的に、止めることは出来なかったのです。
ちなみに奇しくも西洋の錬金術が目指した卑金属を金に変え、不老不死をもたらすとされた賢者の石も、中国で不老不死をもたらすと考えられていた仙丹の原料とされた「辰砂」も、赤いものでした。あの赤いダイヤのように。
王は盛大な式典を催したと思います。なぜならそれは自分が1番恐れていた死を免れる行為であり、同時に自分が「人」を超える存在になるということをも意味するからです。また、グローバルリリース前の限定公開版Skyのとあるバージョンの暴風域では、最後のいにしえの追想のようにダイヤの周りに大精霊が浮かんでいるばかりか、精霊に見えるものも混じって浮かんでいたそうです。つまりダイヤに何かが起きたその瞬間、その式典には精霊も集められていた可能性があると私は思っています。
そして永遠の命、永遠の光を求めた王はある意味それを叶えました。しかしその瞬間、王の人としての命は終わり、王は長きに渡り光を吸い尽くし、闇をまき散らす嵐になったのではないでしょうか。実体がなくなったから仮面が落ちたのではないでしょうか。
原罪の後半では暗黒竜のサーチライトのように地を這う赤い光があります。しかし原罪には暗黒竜はおらず、そしてこの赤い光を追うように赤い石が降ってきます。これはもしかすると、暗黒竜のように闇に堕ち、嵐となって王国中の光を吸いつくしてなお足らず、今でもさらなる光を欲し探している王の視線なのではないでしょうか。
つまり王は王国のどこにも見当たらないのではなく、気づかなかっただけで我々にはずっと見えていたのではないでしょうか。
捨てられた地の雲に飲み込まれるまで、ちょうどSkyのロゴが現れるあの辺りからずっと。
…では王の魂は救えないのでしょうか?王が無数の命を奪ったとしても、最初は善良だったかもしれません。そうでなければ草原時代のような平和な時期はなかったはずです。甘い考えかもしれませんが、思うに王子は根っからの悪人ではなく、欲のあまりただ光を見失ったのです。それに星の子は精霊も生物も大精霊も天に還すのですから、王だけ仲間はずれというのは悲しいという個人的な気持ちもあります。また、王が闇の嵐そのもの、あるいはその原因だとしたら、少なくともそれを浄化しなければ、Skyの世界に真の平穏は訪れないでしょう。
これについては他のコンセプトアートにヒントがあります。2018年に開かれた「CAFA GAME ART」というイベントの展示です。展示そのもののデータはこちらで見られます→http://static.cafamuseum.org/museum-image/virhall/62b7f832d55470931b310a4c97dfd7df/index.html (中国語(一部英語)、3D酔い注意)(和訳などはこちら→https://wikiwiki.jp/archeosky/CAFA%20GAME%20ART%202018 )
これによるとまず原罪の最後で、星の子は「最も純粋な魂である王子に直面」します。そして「王子の手を取り、みんなの心の火を彼に渡し、彼の魂を解放」します。そして「王子が目覚め、王の体からあなたを飛び出させることによってあなたを救出する」のです。
この流れをゲーム内で見たことはないでしょうか。そう、原罪で全ての光の翼を失ったあとのあの空間です。 あの空間で、星の子は一人のうずくまる子供に会います。
そして助け起こしてハグをし、光を得てあの空間から脱出するのです。
あの場面はこのゲームの大きな見せ場のひとつです。 あの子どもが王子なのではないかと私は考えます。王に残されていた光であるが故に、嵐の中心、光を吸い込むダイヤの中に囚われてしまった魂。それをあの場所で星の子は救おうとしているのではないかと。フレンドにしか使えないはずの感情表現の代表であるハグを使い、光の翼を全てなくし、キャンドルの炎も出せなくなった星の子が分け与えられる最大限の光、愛情によって。
そもそもオープニングでは「7つの地方で、他の大精霊たちも目覚めの時を待っているでしょう」と言われています。これは、暴風域・原罪にもちゃんと「大精霊」がいて、その大精霊を目覚めさせる、つまり光を与える必要があるという証拠にはならないでしょうか。
その後王子の魂が実際に救われたかは分かりません。しかし上のコンセプトアートには脱出したあと「王子は前に進み続ける」ともありますから、実は一足先にこの空間を出て、星の子のためにあの光の道を作ったのかもしれません。あるいはSkyのストーリーが長い時間をかけて王国を浄化するものであれば、王子の魂も時間をかけて救済されていくのかもしれません。
久し振りに涙腺刺激された
やはり原罪自体が王だったなんて...
これはもう「星と愛情と言葉を紡ぐ子どもたち」では...!?